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RallyDo!編集後記 「おっちゃんの独り言」第四回

 古い写真が出てきたので、ラリーの撮影話はこれを使ってやりますか。
IMG_0001.jpg
 この写真はオイラがラリーの撮影をしだして数年経っていたころでさ、夜の撮影にも慣れてきたときに撮ったやつだね。KP61っていうのが懐かしいでしょう。

 オイラが初めてラリーの撮影に行った時はもちろんナイトラリーのころでさ、夜に走っているものなんか撮ったことが無かったんだよね。だいたいラリーを見たことが無かったんだから。ダートラは撮っていたから道が曲がっているとドリフトをしてくるんだろうな、ぐらいは予想出来たけどさ、望遠レンズが使える昼と、標準レンズで撮る違いがあったからね。
 だから最初に山に行った時は「ここに立って」から始まって、「シャッタースピードは1/60秒で、距離は4メートルで、ズームは35ミリかな」と、子供に写真の撮り方を教えるように始まったんだよね。
 教えてくれたのは、選手達から「ケンちゃん」って呼ばれて慕われていた白石さんっていう人で、オイラにラリー撮影のイロハから手ほどきしてくれたんだ。で、「ここにライトが来たら写すんだぞ」って、懐中電灯で道を照らしてくれたんだけど、ファインダーを覗いたら全然見えないんだよね。
 自分で「ここだね」って確認しても、肉眼で見るのとファインダーを覗くのでは全然違っていたからね、ホント、闇夜のカラス状態だったよ。
 
 最初の取材は滝川にあったラリーチーム北海が主催していた冬のラリーでさ、雪明りがあっても散々な結果だったという思い出があるよ。そりゃー初めてだもの、教えが良くてもすぐには出来るわけないよね。デジカメみたくその場で画像が確認できれば、シャッターを押すのが遅くてクルマがはみだしちゃったとか、早くて隅っこに小さく写っているとかがわかるんだろうけど、フィルムじゃ現像が上がってくるまでどうだったかわからないからね。
 
 古い本を見ると「ゆっくり走ろう北海ラリー」っていうのが載っていたから、これが初めて行ったラリーだったんだろうね。2回目がARKの前身で、クレストっていうチームが開催していた冬のラリーでさ、チャンピオンシリーズの開幕戦だったと思うよ。日高町の竜門パークっていうドライブインがスタート会場でさ、このラリーが全日本戦になったときにはサービス地点になっていたはずだよ。この近くの振内っていう町に住んでいたことがあってさ、スッゲー寒かったのは覚えているけど、本州から来た選手とかメカニックは大丈夫だったのかね。この時も寒暖計の目盛りが足りなくなるほど寒かったんじゃなかったかな。
 まだラリーの撮影は2回目だから「はい、ここに立って」から始まったんだけど、この時に撮った写真がマイカー情報の表紙になってさ、嬉しかったね。いくら先生の教え通りとはいっても、オイラが撮ったんだからね。初めての表紙だったと思うよ。ちなみに、その時のドライバーがかまやん(カマタスポーツのおとうさんね)だったんだよね。

 いまもそうだけど、場数を踏むっていうか、とにかく写さないとだめだね。特にナイトの撮影は慣れが必要だったからさ、上級から初級まで近郊のラリーには行っていたよ。「84年のモータースポーツカレンダー(予定)」っていうのを見たら、ラリーだけで34戦も載っていたからね。全戦は無理だったろうけど、半分以上は行っていたんじゃないかな。
 慣れてくるとライトの動きでクルマの動きも分かるようになってさ、写真の時もイン側が浮いているのが分かってシャッターを切っているんだよね。ネガを見ると連写でもう1枚撮っているんだけど、ストロボが飛んで(発光していないっていう意味ね)いなくて、ライトだけが薄っすら写っているんだ。この時のことはよく覚えていて、転倒は免れたんだけどアウト側にいた桜庭さん(亡くなられてしまったけど、このころから一緒にラリーに行ってました)に向かって行って、畑の道を追いかけて行ったんだよね。ブレーキを踏まなくてさ、このドライバーは。片輪走行の時にもブレーキを踏まなかったから転倒しなかったんだろうね。サービスでこのクルマを探したけどいなくてさ、オイラ達がよっぽど怖かったのかね。
 
 ラリーの写真は仕事として撮りだしたからオイラの所にはネガが無いけど、また写真が出てきたら違うハナシをするね。
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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

  1. 2009/10/23(金) 23:26:32|
  2. おっちゃんの独り言
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RallyDo!編集後記 「おっちゃんの独り言」第三回

 ラリー撮影のハナシの前にオイラが歴代使ってきたカメラを紹介しちゃいます。ラリー撮影のハナシは期待しないでチョット待っててくださいませ。
①リコーオートハーフ
①リコーオートハーフ

 オイラが可愛いかった幼少の頃に家にあったカメラが写真①のリコーオートハーフだったと思うんだよね、思うというのは、ズ~っと何故かオリンパス-ペンが最初に触れたカメラだと思いこんでいたんだ。
 でも、この独り言を書いていてネットで調べていたら「どうも違う」っていうのに気がついたんだよね。 メーカーだって違うし、形だって全然違うのに。どちらもヒットしたカメラだから、オリンパスもどこかで触っていると思うんだけど。ま、40ウン年前の記憶だから曖昧なんだけど、24枚撮りのフィルムだと48枚撮れるとか、下のねじを巻かないとシャッターが切れないとか、ネットで調べていて「そうだった」って思い出してきたとういわけで、たぶんこのリコーオートハーフで間違いないと思うんだ。
 ほんとインターネットって便利だよね。
②ミノルタ
②ミノルタ

 次が写真②のようなミノルタのカメラ。のようなっていうのも、ミノルタっていうのは間違いないし、レンズ交換出来ないカメラでこんな形をしていたのは確かなんだけど、グレードというか機種までハッキリと思い出せないんだ。
 中学の修学旅行に持って行って撮影したのがこのカメラのはずなんだけど、あまり思い出がなくてね。同級生の好きな娘を撮っていたと思うんだけどね。隠し撮りでもしていたのかな。写真も思い出せないし、名前もフルネームで出てこないんだ。
 ただ、モノクロフィルムが指定(カラープリントは高かったので学校で白黒に統一していたと思う)だったのに、親父が勝手にというか、気を利かせてカラーフィルムを入れてくれたのに「勝手なことをするな」っていったら、おもいっきり殴られた記憶だけはあるんだ。泣いてお袋が働いていた食堂に行ってかつ丼を食べさせてもらったことは覚えているんだよね。
③ニコマート
③ニコマート

 で、高校の入学祝いに買ってもらったのが写真③のニコマートFT2。ニコンの廉価版のカメラでさ、これは今でも持っているよ。レンズは50mmのF1.4を1本しか持ってなくて、叔父に「これで撮っていると望遠が欲しいとか、広角がいいとか分かるから」と、この標準レンズで撮っていたよ。
 ズームレンズなんてほとんど無かった時代でさ、望遠を使いたいときは苫小牧の叔父にわざわざ借りに行ってたからね。SLを初めて撮ったのもこのカメラで、確か最後に走ったD51だったはずなんだけど。友達が集まったときのスナップや、初めての彼女もこのカメラで撮ったよ。もちろんヌードじゃないぜ。いまだかつてヌードは撮ったことはないからね、一度は撮ってみたいと思っているんだけど。
 30年以上も前のカメラなのに動くようで、フィルムを入れて撮っていないけど露出計は動いたんだ、さすがニコンだよね。
④キャノンAE-1
④キャノンAE-1

 当時はニコンのレンズは高かった(いまは価格はほぼ同じです)から、写真④のキャノンAE-1を自分で始めて買ったんだ。
 ここからキャノンに移って今でもキャノンを使っているよ。別にキャノンからカメラがもらえるわけじゃないけど。このカメラでジムカーナを撮ったことから今のオイラがあるんだろうけど、使わなくなって数十年も経つから今これで撮ったらまともに写せないんだろうね、オートフォーカス(AF)に慣れちゃっているし。
 このカメラを持ってジムカーナ、ダートラ、ラリーって行ってたら、たまあにオイラより良いカメラを持ったアマチュアがいて(オイラもアマチュアなのに)悔しくなってさ。特約カメラマンという肩書が付いただけで、プロにでもなった気持ちになったんだろうね。編集部にあったキャノンA-1っていうカメラを借りて行くようになったんだけど、それでも見栄っ張りのオイラはとうとう写真⑤のキャノンF-1に手を出してしまったんだ。
⑤キャノンF-1
⑤キャノンF-1

 オイラの師匠も使っていたしね。別にAE-1で撮れなかった訳ではないし、F-1だから良く撮れる保証もないけど、カッコつけたかったんだろうね。特約だから。でもレンズは高いのに買い替えれなくてさ、古いままだったよ。いまなら「明るいレンズ(=高価なレンズ)を使った方がいいよ」っていうけど、そのころはカメラが良ければいいと思っていたんだよね。このカメラまでピントは自分で合わせていて、額に蜂が止まっても、指で蚊が血を吸っていてもシャッターを切り終わるまでファインダーから目を離せなかったよね。だからたくさん刺されたよ。
 特にラリーは山の中だし、チャンピオン戦なんか最終ステージは朝方の時もあったから蚊が元気よくおなかをすかして飛んでくるんだよね。オイラの血なんか美味しくないのにさ。若かったから血が濃かったんだろうね。
 少しの間モータースポーツの世界から遠ざかっている時期があって、カメラも大きく進歩していたんだ。AFが格段に進歩してさ、一眼レフもAFがあたりまえになってきて写真⑥のEOS-1を買ったというわけ。
⑥キャノンEOS-1
⑥キャノンEOS-1

 またラリーとか撮りだしたんだけど、AFのピントが合わないときの動き、経験したことがある人は分かると思うけど、カメラがピントを合わせようと距離が行ったり来たりする動きがどうもダメで、マニュアルで使っていたんだよね。その時に、東京のカメラマン仲間に「EOS-1を使っている意味がないじゃん。そういう時でもシャッターを切るの」って言われてからAFを使うようになったんだけど、それでもシャッターを押せない時があったね。フィルムがもったいなかったし。WRCに初めて連れて行ってもらったときは、EOS-1を1台しか持っていなかったので、F-1と2台持っていったら、レンズが違うのでそれぞれの機材が必要だから倍になっちゃってさ。翌年にパイクスピークに行った時に1台しか持って行かなかったら、編集長に「壊れたらどうすんだよ」って言われてさ。それでカメラをもう1台買ったんだけど、そのころは仕事もたくさんあったんだね。いま思うと。しばらくEOS-1を2台使って撮影していたんだけど、世の中はデジタル化に向かって進んでいたんですよ。
 デジカメが普及してきてもオイラはフィルムを使っていたんですよ。オートワンはすでにデジカメになっていたのにね。「オイラはアナログ人間だからいいの」なんて変な言い訳をして、パソコンにもまったく興味を示さなかったんだけど、エロ動画のハナシには食いついていたけどね。
 正直デジカメになったらどうしようか悩んでいたんだけど、なんかデジカメがカッコよく見えてね、時代の先端を行っているようだったし。それで編集部に「デジカメにした方がいいの」って聞いたら、「まだすぐには変えないと思うから大丈夫ですよ」っていう返事が返って来たんだ。「ホッ!」としたけど、「明日からデジカメで」って言われたら困るから写真⑦の10Dを買ってデジタル生活に入っていったんだ。
⑦キャノン10D
⑦キャノン10D

 もちろんパソコンも同時に始めたけど、いまでもよく解らないのよコンピューターは。アナログのオイラにはね。取説をほとんど見ないでラリーを撮りに行ったから、ラリーを撮影することは慣れていてもカメラは初めてなので?マークが出てくること。たまたま聞けるデッカイ人がそばにいたからアレコレ教えてもらったけど、またアマチュアに戻っていたね。
 その日の夜に編集部から「おじさんデジカメ買ったんだって」って電話が入って、「これでいつでもデジカメに変更できるね」って先日と違うことを言いやがって。それから数か月でデジカメの撮影に変わってしまったんだけど、あれこれ覚えなきゃならないことはあるし、10Dが1台ではどうしようもないから、やっぱり見栄っ張りのオイラはここでも写真⑧のEOS-1D(写真は2台目のマークⅡN)に手を出しちゃってさ。予備機も発売されたばかりの写真⑨の20Dを追加して、先のことを考えていないというか、必要だったとはいえ欲しいと思ったら買っていたんだね、数年前のことなのに。
⑧キャノンEOS-1D
⑧キャノンEOS-1D
⑨キャノン20D
⑨キャノン20D

 1Dと20Dの2台で本格的に撮影を始めたんだけど、あまりにも性能が違い過ぎて持っていても使わなくなっていたんだよね。で、10Dと20Dを下取りに出して1Dをもう1台買おう思ってカメラ屋に行ったんだけど、馬鹿にしたような下取り価格で、おまけに「過酷に使ってましたね」ときたもんだ。その店で中古で売っている半分ぐらいの値段だと思っていたら、5分の1程度だったからね。メンテしてとかは分かるけどさ。
 それで下取りはやめて、お世話になっているショップさんに話を聞いてもらっていたら買ってくれることになったわけ。いまでは20Dは某ショップニュースの写真撮影で大活躍しているし、10Dも道東で建築写真の撮影で使われているようだけど、ほんと助かったんだよね。
⑩キャノンPowerShot S5 IS
⑩キャノンPowerShot S5 IS

 いまはモータースポーツを撮るときは1Dを使っているけど、普段は写真⑩のコンデジを使っているんですよ。これがいいのよね。写りもそれなりにいいし、持ち運びがなんたって楽だよね。胸ポケットに収まるほどコンパクトではないけどさ。広角がもっとワイドだということないんだけどね。と思っていたら、最近出たコンデジが良さそうで、買い替えたいんだけど先立つものが無くてさ。誰かオイラにキャノンのG11をプレゼントしてちょうだい。

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  1. 2009/10/14(水) 09:40:34|
  2. おっちゃんの独り言
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byけいご
突然押し掛けてごちそうさまでしたー。
昨日の夜に無事に帰り着きました。

オレのカメラ暦はフジの110、リコーのXR500、T90、
なぜかミノルタのα9Xiを半年、でEOS1n HSから10D、
20Dで1Dマーク2と1Dsマーク2です。
9Xi以外はまだ持ってます。F-1は今でも欲しいです。

byちえp
>24枚撮りのフィルムだと48枚撮れるとか

そうだった!子供の頃で機種は覚えてないけど
オリンパスじゃなかったかな?ウチのカメラも
そうだったな~。懐かしい。
2倍撮れるって当時のスタンダードだったの?

byおっちゃん
キャノンの愛好者はキャノラーかな、キャノニストかな、ってどうでもいいことを考えちゃってます。

EOSからとは、まだまだですなけいごさん。F-1は譲らんぞ。今度来るときはゆっくりしていってくだされ。

ちえpがハーフサイズのオリンパス-ペンを知っているとは、いまは「宮崎あおいがCMしているやつでしょう」ってデジカメのことを言わなきゃ。ところで、ハーフサイズが流行っていたかどうかはわからないけど、オリンパスとリコーはみんな知っているね。


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  1. 2009/10/08(木) 17:30:22|
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RallyDo!編集後記 「おっちゃんの独り言」第二回

おっちゃんの独り言  Vol.2

みんなが読んでくれているようで、オイラは嬉しいよ。Rally Do!を開いたら強制的に読まされたって言わないね。すぐにはコメントを返せないと思うけど、感じることがあったらどんどん書き込んでくださいませ。

デビューつながりで、オイラがモータースポーツを撮り始めたころの話でも。
きっかけはオイラの友達がお世話になっていた札幌市東区のチューニングショップ(いまは無くなったけど)に連れて行ってもらったのがはじまり。まだ写真は撮っていないけど。そこの人たちがジムカーナをやっていて「今度大会があるから行かないかい」と誘われて、何をするかほとんど聞かないでついて行ったんだ。そのころ、ジムカーナなんていう競技は知らなくて、どんなことをするのかも分からない、クルマは好きだったけどモータースポーツとはまったくの無縁だったんだよね。参加していたのは、B110サニーやKP47スターレットの改造車で、新しくてもB310サニーとかだったよね。何のクルマか分からない人もいるよね。ふるすぎて。ナンバー付きではパブリカも走っていたし、TE27もまだ現役でいたころだったよ。パブリカって知ってる? 確か「ガッツ パブリカ」っていうコピーで人気があったんだよね。オイラの叔父も乗っていたんだ。そのころのジムカーナは、参加台数だって100台を超えていたんじゃないかな、ダブルエントリーがあたりまえの時代だったしね。第1期黄金時代だったと思うよ。会場は、いまでいうルスツリゾートの駐車場だけど、そのころは大和(だいわ)ルスツっていう名前だった。おっちゃんとかおばさんとか、いまでも「大和ルスツ」って言う人がいるでしょう。オイラはルスツ高原って言っちゃうけどね。アミューズメント施設なんかはもちろんなかったし、スキー場だけで三角屋根のホテルだけがあったと記憶しているんだけど。そこに連れて行ってもらったんけど、することは別にないし、黙って見ていても飽きてしまうんだよね。ただ、つまらないとか、もう見なくていいやとかは思わなかったんだ。だってカメラを持って次の大会にもついて行ったんだもの。
で、
ここからがやっとカメラの話になります。
そのころ使っていたのがキャノンのAE-1というカメラ。その時からキャノンでした。いまでも持っているけど、使うことはないよね。カメラマンが仕事じゃなかったから、このカメラでも十分だったんだ。どこか行ったときに撮るとか、友達が集まったときのスナップとかで、趣味で撮るぐらいだったし、高いカメラは買えなかったんだと思う。貧乏で。そのカメラで競技車を撮ったんだけど、どう撮っていいか分からないし、聞く人もいなかったし、とりあえず土手の上で狙っていたんだろうね。薄っすらとその時の画像が頭の片隅にあるよ。その当時の写真が出てこないから見せれないけど、そうとう下手だったよ。流し撮りも出来なかったし、速いシャッタースピードでとにかくフレームの中に収めることに集中していたと思う。撮ったことのある人はわかると思うけど、フレームの中に収めるのもけっこう大変なんだよね。頭が切れたり、お尻が切れたりで「そこで止まって」って何度も思ったもの。いまでも思うけどね。そのころの写真を見たらあれこれ文句をつけて、評価なんかもしちゃうんだろうね。自分で撮ったものだから、好き勝手なことをいうと思うよ。でも、連れて行ってくれたクラブの人たちが写真を欲しがってくれて、毎回のようについて行って撮るようになったんだ。ただ、フィルム代、現像・プリント代とかお金はかかったよね。いまのデジカメはホントにいいと思うよ。
 あっ、そういえば「セキボウランド」っていう会場もあったね。いまの道央自動車道の札幌南ICのそばだったと思うけど、オイラも数えるほどしか行ってないんじゃないかな。その後に、真栄に「サッポロスポーツランド」が出来たりしてさ。札幌市内でもジムカーナが出来るミニサーキットというか、カートコースがあったんだよね。ふるすぎるか。
 はなしは戻るけど、そこのショップでチーフメカニックをしていた人がオイラと同郷で、なにかと面倒を見てくれたんだ。その人が丸目のKP61でダートラに出るっていうんで、いっしょに行ったのよ。ハマってしまったね。埃に。写真を撮っていても楽しかったしね。ほとんどのクルマがFRだったからドリフトの撮りほうだいだったし。そのころのFF車って、パルサーとか背の高いシティぐらい(GA2が出る前のハナシね)で、ルート6の古沢さんぐらいしかいなかったんじゃないかな。KP61もEP71が出てくるまで主力車種だったからね。いまではあたり前の4WDもスバルしかないころで、チームスバル北海道の人たちはレオーネで競技をしていたね。雨で路面が荒れると速かった記憶があるよ。ジムカーナの人達には悪いけど、そんなダートラにぞっこんになっちゃったんだもの。あのころはどこでも開催してたから、いろんなところへ連れて行ってもらったよ。いまでは考えられないけど、函館のチームが主催の時は駒ヶ岳の斜面を走っていたし、室蘭のチームが主催の時は地球岬の砂利道でやったこともあった。駒ヶ岳なんて大沼国定公園内だから、いまじゃ無理だよね。帯広では札内川の石がごろごろしている河原でやったこともあったよ。糠平の氷上はそのころからやっていたけど、いまより寒かったんじゃないかな。オイラがどこを歩いても落ちる心配なんかなかったのに、最近では「お前みたいなデブがウロウロしたら落ちるよ」って、帯広のじっちゃんに言われちゃうもん。札幌では「阿部サーキット」って呼んでて、芸術の森のそば(そのころは芸術の森はなかったけど)で、常盤の採石場が会場だったんだ。いまは跡形もなくなっているみたいだけど。だから行くたびにコースの形状が変わっていて、そばに阿部さんていう方の養豚場があったから阿部サーキットっていってたけど、風向きでは臭かったよね。思いだすだけでにおってきそうだよ。
そのころに
マイカー情報っていう北海道のくるま雑誌の編集長に声をかけられたのよ。マイカー情報って、中古車雑誌の「マイカー情報カッチャオ」になっていまは休刊しているみたいだけど、むかしは新車からモータースポーツ、もちろん中古車の情報まで、北海道のくるま雑誌のパイオニアだったのよ。で、特約カメラマンになってこの世界にどっぷりハマってしまったというわけ。最初の仕事はジムカーナの会場で、スタートに並んでいる選手の顔写真を撮ることだったんだ。いま思うと、失礼なやつだよね。精神を集中しているときに「すいませ~ん。写真を撮らせてください」ってカメラを向けるんだもの。どこのだれかも名乗らないで。「ヘルメットのままでいいですよ。はい、こっち向いて」って、やっていたんだよね。ホント、常識がなかったと思うよ。ジムカーナの撮影っていわれていたけど、原稿ってあの時は誰が書いていたんだろう。これを書いてて思ったけど、オイラは文章なんて書けなかったし、ライターさんも行ってなかったからね。たぶん編集部でなんとかしていたんだね。ジムカーナに数戦行って、ダートラもってことで、砂川とかに「取材にきました~」って行くようになってさ。好きなことして、いままでお金を出していたのに反対にギャラが入るようになって、嬉しかったよ。いまは沢山の人がカメラを持って会場に来るけど、むかしはいなかったからね。タイミングが良かったんだと思うよ。
 この後、ラリーの撮影にも行くようになるんだけど、また今度にするわ。

                            ※誤字、脱字は見逃してね。

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  1. 2009/10/07(水) 19:40:22|
  2. おっちゃんの独り言
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byノリピー
ほんとに古すぎてわかんないや!(笑)
噂に聞く「阿部サーキット」は「阿部さんが経営しているサーキット」じゃなくて「阿部養豚場の隣にあるサーキット」で、阿部さんとはあまり関係ないんですか?知らなかった・・・
台風の風でおっちゃんが飛ぶことは無いと思うけど、ウォーキングしてて飛んできた物にぶつけられないように気をつけてください。

byおっちゃん
ノリピーさん:
阿部さんの土地っだったかもしれませんが、オイラも正直詳しくはわからないです。
心配してくれてありがとう。注意するわ。でも、身体の面積があると風をたくさん受けるのでそれなりに抵抗があるのよ。ま、飛ばされるような体重ではないけどね。

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RallyDo!編集後記 「おっちゃんの独り言」第一回

おっちゃんの独り言

Rally Do! を見てくれている皆さん、こんちはです。
北海道のラリーの情報を発信しようと始まったサイトです。オイラも微力(腕の力はあるけどね)ですけど、頑張りますのでよろしくお願いしますね。写真や動画、もちろん文章に対する苦情はオイラにこっそりと言ってください。しっかりと、聞き流しますけど。特にこの「おっちゃんの独り言」では好き勝手に書かせていただきますのでよろしく。

第1回目は何を書こうか悩んでいたら「『おっちゃんの独り言』楽しみにしてますよ」って言われちゃって、まだ始まっていないし、1文字も書いていないのに、そう言われるとプレッシャーが掛かっちゃいます。
オイラはプレッシャーに弱い小市民でありまして、あまり期待されると困るんですよ。
体重は人の倍もあるのに、心臓はノミより小さいんですから。
で、
プレッシャーということで
昔オイラが初めてラリーのナビゲーターで出場した時のことでも。

オイラが初めて出た時はKP61スターレットが全盛で(何年前かは計算してね)、北海道のラリーも、いまのTC方式じゃなくてチェックポイント(CP)のころ。もちろん土曜日の夜に走っていたんですよ、山の中を。
すでにモータースポーツの写真を撮っていたので、会場には知り合いも多くいて「頑張ってください」なんて声をかけられて、平然を装っていたけど心臓はドッキドキで、さらにプレッシャーが掛かっていたと思うよ。だって、ラリーの計算なんて出来なかったんだもん。スタート会場に行けば正解表(何時何分何秒にそのCPに入ると正解ですっていうもの)はもらえるし、自分で計算したことなんてなかったんだもの。もちろん普通の足し算や掛け算は出来たつもりだけど、コマ図と何十メートル違うとかα補正とかなんて、走っている時に出来ないって。初出場なんだからさ。それでも、取材していると偉そうなことを言っていたんだよね。そのころから。だって正解は知っているし、失敗したのはオイラじゃないわけだから、なんでも言えるよね。いまでも「走ってみて」っていわれたら、素直に断りますよ。取材が出来なくなるしボロが出るからね。

ドライバーはダートラでは少しは知られる存在になっていた人で、ラリーが初めての2人で出たんですよ。計算ラリーで速いところは無いはずなのに、オド(TCラリーから始めた人は誰かに聞いてください)で補正を出して、最初のパスコン(指示速度を変更するところね。知らない人は誰かに聞いてね)を処理したら、ファイナルの表示がいきなりのマイナスが出て、遅れているってラリコンがいっているんですよ。
オイラ「遅れてるよ」
ドライバー「OK」
昔のくるまは100km/hを超えると「キンコーン」とか「チ○ンコーン」って、音が鳴ったのよ。
で、
その「キンコーン」が鳴ったときに
ドライバー「初級で100キロ超えることあるの」
オイラ「ないよね」
ドライバー「超えてるよ、どうすんの」
オイラ「行け」
年齢はオイラの方が上だったから、ドライバーは素直に従ってくれていたのよ。
無謀だよね、いま考えると。2人ともラリーを知らないというか、ルールを知らなかったというか、知っているふりだったんだろうね。
アッという間に前ゼッケンのくるまに追いついちゃって、
ドライバー「どうする?」
オイラ「抜け」
完璧に間違っているのに、いつもは出せないこの自信。根拠も何もない、どこから出てきたのかわからない自信だけど、その時はハッキリと答えていたと思うんだ。
舞い上がっていたのかもね。
いや、
パニクッテいたのかもね。プレッシャーで。
ラリコンで、スタート時刻や補正、アベレージを確認しても間違っていなかったはずだから。どうすることも出来なかったと思うよ。
前のくるまに追いついた時にファイナルを覗いて(夜だから見える時もあったんだよね)その1分後にチェックに入れば減点も少なかったのに、1CPから確か100点近い減点を喰らったと思うんだけど。抜かしたクルーには「ビックリしたよ、抜かしていって。どうしたのさ」って言われるし、チェックではゼッケンをいうと「エッ!」ってビックリされるしで、散々なデビューだったから鮮明に覚えているのさ。
みんなもデビュー戦って覚えているでしょう。
ちなみに、そのころのラリーではチェックポイントのくるまを通り越してから(確か10mだったと思うけど、違っていたらゴメンネ)停車して、ナビゲーターがくるまから降りて行ってチェックシートを貰っていたんだよね。足の遅いナビだとそれだけで遅れになってしまってた。オイラは・・・・。ナビがシートベルトをするかしないかで走り出していたんだから、いま思うと危なかったよね。その後にウィンドーtoウィンドーなんちゅうのが出てきて、ブリーフィングとかで「今日はどっちですか?」なんて質問も出ていたからね。昔すぎるか。

みんなもデビュー戦って必ず経験していると思うけど、散々なデビューのオイラでも楽しかったのは覚えているね。悔しかったのを忘れているだけなのかもしれないけど。
いまは取材する側になっているけど、会場にいるだけでも楽しくなるね。みんなにもそうなってほしいよ。友達がたくさん出来て、バカなはなしをいっぱいして、山にいると孤独だけどラリー車が来ると思うと楽しくなるよ。ラリーだけじゃなくて、ダートラやジムカーナだって好きだし、レースだって・・・・・・、嫌いじゃないけど、レースの取材に来ている同業者に良い思い出がないので、?、かな。レーサーのかたゴメンネ。



まぁ、
こんなかたちで取り留めのないことを書くと思うけどよろしく。
写真1枚に、文章が1行っていうのもあると思うよ。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

  1. 2009/10/05(月) 22:24:28|
  2. おっちゃんの独り言
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byノリピー
待ってました!

ちなみに私のデビュー戦は冬のラリーで、ナビで180点もらったけどドライバーも刺さったので良しということにしました。2戦目は別のドライバーと出て、SSも無いのに1863点もらったけど、リタイアしなかったので良しとします。なつかしー

byおっちゃん
ノリピーさん:
さっそくコメントを頂きましてありがとうございます。
減点を覚えているとは流石です。
あのころは、一桁減点じゃないと優勝争いも出来ない時代に、1CPで恐ろしいほどの点数をもらった覚えだけがあります。普通のテストなら威張れる点数なのにね。
これからも好き勝手に書くのでよろしくね。

デビュー戦 byまんも
オレのデビュー戦は、雪のラリーでミスコースしちゃて、もうなにがなんだかわからなくなったので、というか面倒くさくなったので「よし、もう家に帰ってしまおう」と、リタイア届けを出すことなく勝手に帰宅しました。
翌朝、自宅に電話がかかってきて、死ぬほど説教されました。
「オマエらを探すのに何時間かかったと思ってんだ!」と。
サイト、がんばってください。

1000点オーバー byON
俺のコドラデビュー戦は1000点オーバーですよ(-_-;)
申告全て逆に計算しましたからねぇ↓
ちなみにドラはベストドライバーでした。

この当時釧路には専属のコドラいなくて俺が猛勉強しました。
しばらくの間ベストドライバー&1000点オーバーナビが定番でした。まんも兄貴の慰めが心に痛かった時期ですわ。

でも初優勝はナビ勝ちだったなぁ(しみじみ)
色んな事が理解出来てきたころに秒計は無くなりました(泣)

サイトの程々な御発展お祈りしておりまする。。。

byおっちゃん
まんもさんもONさんも、もちろんオイラもだけど
3人を知っている人は「北海道はデ○がナビをするの?」って言われちゃうね。
デビュー戦は思い出があるよね。

キンコンキンコン鳴ります byKP61
おぢさんの愛車は58年車のKP61で28万㎞になったとこです。
最近またまた腐れが気になってきて、このまま更なる泥沼に突入か思い切って乗り換えるか揺れ動いています(笑)

たぶん泥沼‥
 

byちえp
私のデビュー戦は女子大生の頃、今思えば無謀にも経験ゼロでいきなり九州地区戦に駆り出され、緊張と舗装のせいでスタート早々にグロッキー状態。助手席の窓から吐きながらコマ図を読むだけのお荷物でした。
でも最初のサービスに辿り着く前にリア半分が落ちてリタイア。当時はペースノートなんてまだなかった。お互い様なので良しということに。。。
みんなそれなりのデビューがあるんだな、とホッとするわ。

おっちゃん、頑張ってね~

byおっちゃん
KP61さん:
いいクルマだよねKP61は、オイラも7年乗っていたよ。先日走っているKPを久々に見て、懐かしかったです。KP61さんのおぢさんにはいつまでも乗っていてもらいたいね。

ちえpさん:
ありがとうございます。ちえpも子育て頑張ってね。
でも
女子大生のちえpに逢ってみたかったですわ。

byたひら
デビュー戦ねぇ

いきなり2cpが出てきて2000点いただきました・・・
主催者の設定が悪いって文句ばかり言ってました(笑)


そんな私でも30年 ラリーやってます(*^_^*)
 

byおっちゃん
たひらさんって、もう30年もやってんの。
2000点って。みんなのはなしを聞いていると、オイラの「抜け」はカワイイんだね。

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09/09/23 とかち2009 イベント報告 [2WD1.5&オープンクラス編]

新設2WD 1.5クラスの初代チャンピオンは竹下紀子
ヴィッツで2戦目の和田 誠が優勝


北海道では今年から始まった2輪駆動で1500cc以下の戦い。確かに速さを求めれるクラスではないが、勝った負けたの争いは予想以上に楽しいようだ。

2009年JMRC北海道ラリーチャンピオンシリーズ第7戦
2009年JMRC北海道ラリージュニアシリーズ第7戦

●主催/ラリーチーム、カンサー(RTC)
●2009年9月19日(土)~20日(日)
陸別町周辺90km



 冬の2戦は三木晴夫/三木孝市の兄弟コンビが唯一参加していたが、春のターマック戦からは台数を4台に増やして本格的にシリーズ戦としてスタートした2WD 1.5クラス。車種もヴィッツ、ストーリア、レビン、スイフトと個性に富んでいて、これにコルトの参戦が期待されるし、噂では軽のFFやミラージュ、シビックの名前も聞こえてきているので、前途が明るいクラスといえるのかもしれない。
 ターマックの2連勝でシリーズ争いを一歩リードした竹下紀子。「私だって一生懸命走っているんですよ」というように、佐藤茂樹のレビンとは好勝負を繰り広げていた。そしてグラベルの初戦、竹下と同じヴィッツをチョイスしてきた和田 誠が参戦してきてライバルが増えたが、優勝したのはFF1300ストーリアの三木で、シリーズ決定は最終戦まで持ち越されてしまった。
SS1から飛び出したのは、ベテランの和田。2番手の三木には3秒、佐藤、竹下には10秒のビハインドを付けた。SS2の陸別は、竹下が和田より1秒以上速くゴールしている。表彰式で和田は「なぜか陸別は竹下が速くて」というように、陸別のタイムだけをみると竹下が一番速く走っていた。SS3では再び和田がトップタイムを刻み、三木に6秒以上のアドバンテージを築いて、このクラスでの初優勝へカウントダウンを始めた。
15202~2
2WD 1.5優勝 和田  誠/宗方さおり:「路面がルーズだったからチョッと無理したらあぶないと思って」と、全開で攻めなくてもベストタイムを刻んでいた和田 誠/宗方さおり組は、ヴィッツでの参戦2戦目で優勝を手にした。
15202~1
2WD 1.52位 三木 晴夫/三木 孝市:逆走となるSS4&6ではトップタイムを出すものの、陸別サーキットでの走りがさらに和田との差を築いてしまった三木晴夫/三木孝市組。グラベル戦での連勝を狙っていたが2位で終わってしまった。

「逆走は上手くいかなかった」と反省する和田だが、林道では三木に、陸別の2回目はまたしても竹下にトップタイムを奪われたが、差は縮まらないまま最終SSを迎えた。「最後の陸別は、多少壊れてもいいと思って攻めたら、(佐藤)茂樹さんにコンマ2秒負けていた。勝ったと思ったんだけどね」と、今年最後のSSをベストタイムで締めくくる予定が無残にも妨害されてしまった。佐藤茂樹は最後にトップタイムを出し、このクラスに出場した全員が1度はベストを奪ったことになる。
和田が「速い遅いじゃなくて、腕の差が出ておもしろい」というように、来年は新たにこのクラスにチャレンジする人が出てくるのか。ただし、いま走っているベテランの方々は速いよ。


オープンクラス
海を渡って大挙押し寄せた長野軍団。北海道代表では大ベテランの鈴木昭江が相手したのだが、昭和28年生まれのベテランは、ラリーに出るのは15年ぶりとは思えない走りで他を圧倒した。ちなみに、1994年のツール・ド・ミカサのリザルトがJAFの検索では最後になっている。SS1で鈴木が出したタイムは全体のトップタイムで、チャンピオンシリーズに出ている選手も度肝を抜かれた。ただ、釧路の選手達だけは「うちの大ボスですから」と、当然のような顔をしている。SS3でもトップタイムを出した鈴木は、終わってみると総合で3位の成績で、もちろんオープンクラスでは群を抜いていた。
オープ~1
鈴木 昭江/美藤 充弘:15年前といえば、出場選手の中にはまだ小学生だった人もいると思うが、ブランクをまったく感じさせない走りを披露した鈴木昭江/美藤充弘組。後輩の指導でもっとラリー会場に現れてください。

テーマ:モータースポーツ - ジャンル:車・バイク

  1. 2009/10/05(月) 13:20:49|
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09/09/23 とかち2009 イベント報告 [ジュニアシリーズ編]

ジュニアの主役はダートラチャンプの林 宏明
初のグラベルラリーでベストタイムを連発


今シーズン最多の8台のエントリーを集めたジュニアC。シリーズチャンピオンは決まっているが、ここまで毎戦ウィナーが変わっている激戦クラス。そして最終戦、シーズン2勝目を上げたのは・・・

2009年JMRC北海道ラリーチャンピオンシリーズ第7戦
2009年JMRC北海道ラリージュニアシリーズ第7戦

●主催/ラリーチーム、カンサー(RTC)
●2009年9月19日(土)~20日(日)
陸別町周辺90km


 すでに前戦でシリーズチャンピオンを決めている木村公二だが、まだ1勝しか上げていない。開幕戦こそ4位にとどまってしまったが、あとは1位か2位を取り続けてタイトルを決めたが、1位になったのはレンタルしたランサーでの勝利でインプレッサには美酒を与えていない。来年は卒業で北海道を離れる木村にとって、最終戦は特に勝ちたいラリーに違いないのだが、派手な木村の走りが今回はタイムロスにつながっていたようだ。
 SS1、ベストタイムを出したのが、林道ラリーにデビューしてきた林 宏明。冬のラリーではデビューウィンを飾っているが、林道の走りは未知数だ。しかも、ドライバーが初めてなら、コ・ドラの篠田江里もクローズドに参加はしたことはあるが公式戦は今回がデビュー。その初々しい(2人ともそういう年齢ではないが)コンビがいきなりのベストで、続くSS2、3と連続して取っていく。とても初のコンビで、初のラリーとは思えない戦い方だが、「林道の怖さを知らない・・・」という声も聞こえてきた林の走りだが、ダートラチャンピオンの肩書はだてではなかった。それ以上に、「ロストばかりしてました」と言いながらも、初めてランサーの横に乗ってペースノートを読んでいた篠田には驚かされる。
JR-C優~1
Jr-C優勝 林  宏明/篠田 江里:ラリーをスタートする前から緊張していた林 宏明/篠田江里組は、林の疲労困憊ぶりに「SS中は呼吸してないんじゃないの」の冷やかしの声が飛ぶほど。ラリーストと呼ばれる日はいつ?
JR-C2~1
Jr-C2位 山上 智也/椛村 友紀:主役は林に奪われてしまったが、周りから一目置かれる存在になった山上智也/椛村友紀組。今回のハイスピード林道で走り負けしていないのだから、来年からの活躍が楽しみになってきた。

2番手には、こちらもグラベルの林道は初めてという山上智也が付けている。今年の第2戦でデビューしてきた山上は、ターマックラリーからマシンをランサーにスイッチしてきたが、いきなり山の洗礼を受けてしまう。その山上が、SS1で林には離されたが、3番手のシリーズチャンピオンの木村に5秒近い差を付けてゴールした。続く陸別のSS2でもセカンドタイムを出して気分を良くしたのか、SS4ではコンマ差ながら林からベストを奪う走りを見せた。トップを奪ったのはこのSSだけだったが、4本のセカンドタイムを出していることからも、来年の走りが楽しみになってきた。
JR-C3~1
Jr-C3位 田中曹一郎/山内 洋平:エンジンがかかるのが遅かったのか、ベストタイムを出したのはラスト2本。Nishinoを逆転して3位になった田中曹一郎/山内洋平組は、シリーズでも逆転して2位に浮上した。
JR-C4~1
Jr-C4位 Yoshihito Nishino/Takanori Yoshino:TC早着のペナルティがなくても曹一郎に逆転されていたYoshihito Nishino/Takanori Yoshino組は4位でフィニッシュ。クラスが変わってもシリーズ2位の記録は3年連続で途切れてしまった。

2回目のサービスまで5本中、4本のSSでベストを出した林は、「そろそろペースを落としていいんじゃない」のアドバイスで完走を目指してスピードダウン。ただ、経験のない林はスピードを落とし過ぎたのか最終SSは6番手でゴールしたが、前半のアドバンテージで逆転されることなく2勝目をゲットした。ラリー出場2戦で2勝と、勝率100%を保っている。
JR-C優~2
Jr-C優勝の林 宏明/篠田江里


 ターマック戦の時のような賑わいが無くなってしまったジュニアBは、伊藤淳郎と南篤典の2人にシリーズチャンピオンが絞られたが、南はとにかく優勝の二文字しか望みはない。伊藤は南が勝っても3位にならなければいいので、気持ちは多少楽なはずだ。
JR-B優~2
Jr-B優勝 栗原 啓伍/坂本樹一朗:レッキの時からクルマのあちこちにトラブルを抱えていた栗原啓伍/坂本樹一朗組は、グラベルラリーは初優勝。25万kmも走っているCR-Xは今回が見納め?
JR-B2~1
Jr-B2位 伊藤 淳郎/俊野 朋彦:栗原に走り負けした感のある伊藤淳郎/俊野朋彦組は、2位でもシリーズを決めることが出来た。

この2人に今大会割って入ったのが、CR-Xの栗原啓伍。陸別でのターマックラリーでは連覇しているが、昨年出場した唯一のグラベル戦ではリタイアし砂利道は未知数だ。ちなみに、この時は初めてのグラベル戦ということで、タイムは伊藤にことごとくやられていた。その栗原は、SS1こそ伊藤と1位のタイムを分け合うが、SS2では単独で首位に立ち、1年間での成長を示すかのような5本連続のベストを出して勝利を決めてしまった。栗原も来春は卒業で帯広を後にするが、今季2戦2勝、シリーズ3位が北海道でのラリー活動最後になってしまうのか。
JR-B優~1
Jr-B優勝の栗原啓伍は卒業で北海道から巣立っていく


テーマ:モータースポーツ - ジャンル:車・バイク

  1. 2009/10/02(金) 11:33:03|
  2. JMRC北海道ラリーシリーズ
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